2000年9月11、12日の東海豪雨から20年を迎えた。決壊した新川沿いにある名古屋市西区の公園で、11日早朝、減災への願いを込めた集いがあった。
午前6時、あし原公園内にある石碑の前で、被災者や災害ボランティアらが「9・11 20」の形に並べられた竹灯籠(とうろう)を囲み、黙とうを捧げた。その後、参加者は復興の象徴となったスイセンの花を植えていった。
近くに住む丸山晴夫さん(77)は、ほぼ毎年集いに参加してきたという。「皆が大変な思いをしたことを忘れず、いま幸せに暮らしていることに感謝しています」と話した。
東海豪雨は未曽有の都市水害だった。本州上に停滞した秋雨前線に、南から暖かく湿った空気が次々と流れ込み、00年9月11日夕方から12日未明にかけて名古屋市とその周辺で激しい雨が続いた。名古屋市の1時間降水量97ミリは、いまも同市の観測史上最多。2日間の総降水量は名古屋で567ミリと、年間総降水量の約3分の1に達した。
雨水の処理が追いつかずに下水などからあふれる「内水氾濫(はんらん)」も各地で発生。愛知、岐阜、三重、静岡の4県で計10人が亡くなり、長野を含む計5県で約7万2千戸が浸水した。名古屋市などで浸水想定区域を示すハザードマップが作られていなかったため、マップの作製と公表が、国管理のすべての河川と都道府県が管理する重要河川について義務化されるきっかけにもなった。(小原智恵、土井良典)
被災者は何を思う
都市部の災害リスクが明らかになった20年前の東海豪雨。背丈を超えた濁流の恐怖、避難に伴う混乱は住民の記憶に深く刻まれた。被災した人たちはこの20年をどう過ごしたのか。20回目の「9・11」に、何を思ったのだろうか。
愛知県清須市西枇杷島町の古城小。浸水の爪痕が壁に残る体育館で、11日、児童30人を前に紙芝居「忘れない!東海豪雨」が上演された。町内で8500人超の避難者が出たこと、家族でコップ1杯の水を分けたことなどを紹介しながら、「風化させず、未来へ語り継ごう」と訴えた。
拡大する紙芝居を上演した西枇杷島町の住民。背後の古城小体育館の壁には東海豪雨の浸水痕がついている=2020年9月11日午前9時56分、愛知県清須市西枇杷島町の古城小、土井良典撮影
この日も土砂降りの雨に見舞わ…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル